報恩講法要(令和4年)が勤まりました!

先日無事に報恩講法要がつとまりました!
ご講師の先生とお付き合い寺院のご住職方をお招きする本来の形でのお勤めは、令和元年以来となり大げさかもしれませんが万感の思いです。
これも檀家さま、役員の皆さまのご尽力と感謝しております。

内陣

夜の本堂

親鸞聖人

今回お招きした先生は、光妙寺(池田市)の深親亮介(ふかみ りょうすけ)先生ジャズピアニストの石田ヒロキ先生で、和楽器の篳篥(ひちりき)とピアノの共演による音楽法要でした!
檀家さまからの反響も大きく、来年の春期彼岸会法要、門信徒総会にもおいで下さることとなりましたので、また是非ともご参加ください。

篳篥という楽器は「音域が狭い」「音程に揺らぎがある(不安定)」というのが特徴だそうです。
けれどもそれが篳篥にしか出せない深い味わいになるとのことでした。
音楽について詳しくない私からすれば、「音域は広く、音程も安定している」方が良いように思いますが、人の心に訴えかける音楽では必ずしもそうではないようです。
そこでふと思ったのですが、これを人間にあてはめると分かりやすいのではないでしょうか。
Aさんは「どんな仕事もこなせるし、ミスもない」、Bさんは「任せられる仕事は限られるし、時々ミスもあるけれども人間味がある」とします。
どちらが良いとかではなく、仕事や生活には役割分担が必要です。
そうなってきますとミスが許されない場合はAさんに、多少のミスがあっても許され、それが逆に人間味がある等として受容・好感につながる場合はBさんにということになります。

仏教の考え方では、仏さまは完璧な存在で人間は不完全な存在です。
我欲にまみれ何事も徹底できない人間が完璧を目指すと、求めても得られない苦しみ“求不得苦(ぐふとっく)”が生まれます。
自分をよく見つめ、長所や短所を把握して肩の力を抜いて生きることが出来れば、もっと生きやすい命が得られるのではないでしょうか。